Netflixで配信されている「イカゲーム」と「今際の国のアリス」。
共にデスゲームを題材としたドラマだ。
実は、デスゲーム系のドラマを観たのは「イカゲーム」が初めて。
そもそもあまり興味のないジャンルだった。
が、連日Netflixで上位にランクインしていること、そして奇妙な場所に奇妙な服を着た人間がぞろぞろと歩く異空間の映像が頭から離れなくなり、1話だけで観てみることに。
結果、衝撃だった。
しかも、見始めたら止まらない。
あっという間に完走してしまった。
その後、同ジャンルのドラマ「今際の国のアリス」がNetflixで配信されているのを知り早速鑑賞。
デスゲームという性格上、似通った展開も少なくなかったが、作品の色が違った。
ここでは、「イカゲーム」と「今際の国のアリス」の相違点からみる人間の感情の行き着く先について綴ってみたい。
この記事の内容
- 「イカゲーム」と「今際の国のアリス」の作品概要
- 「イカゲーム」と「今際の国のアリス」の比較と考察
「イカゲーム」と「今際の国のアリス」の作品概要
イカゲーム
借金まみれの主人公ギフンは、莫大な賞金がかけられたゲームに参加することになる。
そのゲームの内容は誰もが知っている子供の遊びだったが、それは「ゲームに負ける=死」のデスゲームだった。
恐怖、欲望、猜疑心など様々な感情が渦巻く空間で、ギフンは心ならずも生き抜くために過酷なサバイバルゲームに挑んでいく。
作品概要
タイトル | イカゲーム |
監督 | ファン・ドンヒョク |
脚本 | ファン・ドンヒョク |
キャスト | イ・ジョンジェ パク・ヘス オ・ヨンス ウィ・ハジョン チョン・ホヨン 他 |
製作年・国 | 2021年・韓国 |
エピソード | 9エピソード |
視聴時間 | 1エピソード平均:約54分 |
ドラマタイプ | サバイバル、サスペンス |
おすすめ度 | 🎦趣味は人それぞれ |
今際の国のアリス
原作は麻生 羽呂の漫画「今際の国のアリス」。
ニート青年アリスは、ある日突然異次元の世界に迷い込む。
そこは誰もいない渋谷。
わけもわからずゲームに参加するアリスだが、それは地獄のデスゲームだった。
東京を舞台に繰り広げられる残酷なデスゲームに参加を余儀なくされたアリス。「今際の国」に迷い込んだ人々と共に、恐怖と絶望を味わいながら生き抜こうする。
作品概要
タイトル | 今際の国のアリス |
監督 | 佐藤信介 |
脚本 | 渡部辰城・倉光泰子・佐藤信介 |
キャスト | 山崎賢人 土屋太鳳 村田虹郎 他 |
製作年・国 | 2020年・日本 |
エピソード | 8エピソード |
視聴時間 | 1エピソード平均:47分 |
ドラマタイプ | サバイバル、サスペンス |
おすすめ度 | 🎦趣味は人それぞれ |
ここから先はネタバレを含みます。「イカゲーム」と「今際の国のアリス」ご視聴後にご覧ください。
「イカゲーム」と「今際の国のアリス」の相違点からの考察
「イカゲーム」と「今際の国のアリス」鍵となる相違点について
「イカゲーム」と「今際の国のアリス」は同ジャンルのドラマゆえに展開や心理描写など類似点は多数ある。
ここではあえて、これらのドラマの相違点について考えてみたい。
まずは、「イカゲーム」を軸に相違点について考える。
イカゲームの特徴
- ゲームへの参加・不参加を選ぶことができる
- ゲームのゴールが明確で終わりが決まっている
- ゲームの参加者・脱落者など全員が把握できている
- リアル世界に戻る方法がルールとして明示されている
- ゲーム参加者はリアル世界では崖っぷち
- ゲームの内容が簡単、かつ韓国に生まれ育ったなら誰でも知っている
- ゲーム空間が限定されている
- ゲームのヒントが仄めかされている(壁に描かれている)
- 同じ服を着せられている
簡単に言えば、1️⃣〜9️⃣の反対が「今際の国のアリス」の設定ということになる。
ここでは、主に1️⃣〜4️⃣について考察する。
1️⃣〜4️⃣はゲームの前提であり、この前提の違いが「今際の国のアリス」との最も大きな相違点となる。
最も重要な点として、1️⃣のゲームの参加・不参加を選べるかどうかという点がある。
「今際の際のアリス」においては、人々の意思は全く考慮されず、ゲームに強制的に参加させられる。しかもゲームの全容が掴めない。
ゴールがあるのかないのかすらわからないという、先が見えない状態でゲームに挑まなければならないのだ。
また、リアル世界に戻る条件は謎で、ゴールがわからないのと同様、いつまでゲームを続けなければならないのかもわからない。
これだけ前提条件が違えば、たとえ同じジャンルのドラマだとしても登場人物たちの行動や心理に相違点が出てくる。
デスゲームという特徴から、両ドラマとも「恐怖」が核になっていることは間違いないが、ゲームに参加している人々の感情には微妙なズレがある。
「今際の際のアリス」の場合、肝になるのは、ある日突然訳もわからず、望んでもいない世界に引き摺り込まれ、そこで生きることを余儀なくされる人々の「絶望感」だ。
その絶望感の中で、それまで当たり前のように享受していた「生きること」について深く考えることになる。
「生きるという本能」を自覚することで、そのために欠かせない「希望」を見つけていくといういうのが主人公アリスに課せられた役目だ。
アリスの目標はリアルな世界に帰ることであると同時に、なぜこの異次元の世界に迷い込んだのか、また、誰がそれをコントロールしているのかを知ることだ。
つまりは「悪を倒す」という鬼退治的な一面が、「絶望の中の希望」として浮上し、それが物語のゴールとして設定されていく流れだ。
それと共に、究極の状況を乗り越え成長していく主人公が描かれる。
一方で、「イカゲーム」の参加者は、お金を得るという「欲望」が行動の源泉になっている。
彼らには「賞金を得る」という明確な目標があり、それに向かって邁進する。
そして、「賞金を得たいという欲望」と「生きたいという本能」が生み出す狂気の中で、人を信じることをやめない主人公ギフンが、どう感情を揺さぶられながら生き抜いていくかが描かれる。
参加者には、参加を拒否する権利がゲームを始める前とゲームを始めた後に与えられている(ゲーム後は過半数がゲーム中止を求める場合のみ権利行使ができる)。
それは言ってみれば、自発的にゲームに参加することと同義で、その事実こそが「イカゲーム」における鍵であり、それは参加者の欲望に直結する。
つまり「イカゲーム」場合、この「欲望」の行き着く先が何処なのかという問いの答えを主人公に探させているのだ。
実際のところ、ギフンが最後に得るのは賞金だけではなく絶望感だ。
「今際の国のアリス」における始まりだった絶望感は「イカゲーム」ではゲームの後に訪れる。
祭りが終わった後に、ギフンは「希望」を失くしてしまったことに気がつくのだ。
つまり、この二つのドラマの流れは逆を行く。
「今際の国のアリス」では、絶望から希望を見出す。
そしてその希望は友達を見殺しにしたことへの償いでもあり、主人公アリスがやるべきことが明確になっていく。
一方の「イカゲーム」は、欲望の中に希望を見出したものの、目標を達成した後に残ったのは絶望だったいう流れ。
ゲームの主催者が誰であったかを知ったこともギフンの絶望に拍車をかけた。
どちらのドラマもシーズン2を見越している終わり方だが、「イカゲーム」における「絶望から希望を見出す」展開はシーズン2で描かれるに違いない。
「イカゲーム」は、なぜこんなにもヒットしたか
先に鑑賞したのが「イカゲーム」だったというのもあるが、個人的には「今際の国のアリス」よりも面白く感じた。
その理由について考えてみたい。
まずは前章の「イカゲームの特徴」を再確認したい。
ここでは、5️⃣〜9️⃣について考察する。
イカゲームの特徴
- ゲームへの参加・不参加を選ぶことができる
- ゲームのゴールが明確で終わりが決まっている
- ゲームの参加者・脱落者など全員が把握できている
- リアル世界に戻る方法がルールとして明示されている
- ゲーム参加者はリアル世界では崖っぷち
- ゲームの内容が簡単、かつ韓国に生まれ育ったなら誰でも知っている
- ゲーム空間が限定されている
- ゲームのヒントが仄めかされている(壁に描かれている)
- 同じ服を着せられている
5️⃣ ゲームの参加者の共通点は「リアル世界では崖っぷち」
まず、ゲーム参加者が同じ問題を抱えているという前提条件がわかりやすい。
全員がお金に困っていて、人生の崖っぷちに立っている。
登場人物それぞれの事情はあれど、「お金」という共通の悩みを持つ人々の目標は一つであり、ゴールがブレない。
「まずは自分が生き残って賞金を手にする」という利己主義に基づいた行動には一貫性さえある。
6️⃣ ゲームの内容が簡単 韓国はもちろん世界中で似たようなゲームがある
そして、ゲームの内容がわかりやすい。
「イカゲーム」が世界的なヒットとなった要素のひとつには、このゲームの内容があると思う。
韓国の伝統的な子供の遊びと銘打っているものの、日本で言うところの「だるまさんがころんだ」など、似たような遊びが世界中に存在する。
つまりは、誰もが理解できるわかりやすさ。
そして、その子供の遊びを大人が行うことのアンバランスさと、それに命をかけるという滑稽さが相まって独特の世界観を作り上げることに成功している。
7️⃣ ゲームの空間が限定されていることの効果
ゲームが行われるのは離島。
ゲーム主催者、そこで働く謎の人々、そして参加者以外存在しない。
限定された空間で行われるゲームに開放感は皆無で、子供の頃、自由に楽しんだはずの遊びに独特の違和感を添える。
代表的なのがエピソード1で登場した「だるまさんがころんだ」の鬼役で登場する巨大人形。とにかく見た目がシュールすぎる。
少女の形をした人形は脱落者を感知し、殺すためにその大きな目を見開いている。
また、どのゲーム会場もテーマパークのようでもあり、一見明るく楽しげ。
しかし、その楽しげな部屋の雰囲気はゲームの結末(死)とは対象的で、そのギャップが恐怖に拍車をかけている。
そして、主催者の得体がしれないとはいえ、ゲーム会場がこの離島で全てが完結されているという限定性も、物語をわかりやすくしている要因のひとつと言える。
8️⃣ ゲームのヒントが仄めかされている
「次のゲームは何か」
少しでもゲームを有利に進めるため、参加者たちはその情報取得に躍起になる。
しかし、そのゲーム内容の全ては参加者が寝泊まりするホールの壁に初めから全て描かれている。
脱落者が増え、ベッドが片付けられる度に見える壁の面積は広がり、最後には壁に描かれた全てのゲームが見渡せる。
答えはすべて参加者のそばにあったという事実は、ゲームの平等性にこだわる主催者が参加者を嘲笑うような展開だ。
必ず、勝ち負けが決まる子供の遊びは、実は残酷な遊びなのかもしれないと、壁の絵が語っている。
9️⃣ 同じ服を着ることによって見える化された役割
学生時代の体育の時間を彷彿させるおそろいの運動着を着せられている参加者たち。
緑色の運動着は囚人服のようでもある。
一方の運営側の人間は、赤い服にマスクをつけている。
ちなみに、赤い服の運営側の人間はマスクに描かれる○△□のマークで役割や階級が異なる。
彼らもまた、ゲーム主催者に管理されているという意味では参加者と同じく自由がない。
参加者と運営側の人間の服の色の対比は映像的に映えるだけでなく、役割の区別という意味で非常にわかりやすい。
ヒットの要因:「わかりやすさ」が「刺激」をより刺激的に。そして「テンポの速さ」が視聴者を迷わせない
一言でいってしまえばこれらの「わかりやすさ」が「イカゲーム」の面白さの源泉だ。
登場人物たちが抱える問題の共通性、そこから導き出される行動や感情の同質性が、視聴者を迷わせることなく物語にひきこむ。
また、ゲームの参加者が抱くネガティブな感情には複雑なところはなく、誰もが直感的に理解できる。
そして、刺激。
目を覆いたくなる場面が多数登場するにもかかわらず、続きを見ずにはいられなくなる中毒性は、「刺激の強さ」と「わかりやすさ」が相まった結果だと思う。
最後に、テンポの速さ。
これは視聴者を迷わせない要素と深く関係するが、冗長的な表現を多用しない韓国ドラマの特徴でもあり、それが視聴者に続きを飽きさせない。
単純な遊びと殺し合い。
恐怖のゲームの最中に流れる優雅な音楽。
楽しげなゲームルームと山積みになる死体。
この相反する全てが一種のアイロニーとして映像に映し出される。
それが視聴者を惹きつける一旦を担っている。
似たようなデスゲーム作品は過去にもたくさんあったはず。
にも関わらず、「イカゲーム」がヒットするのは「わかりやすさ」「刺激」「テンポの速さ」の三拍子が揃っているからだ。
それにプラスして「色」を効果的に使った映像の秀逸さも。
昨今、早送りでドラマを見る人が増えているらしいが、そういう層にもリーチできる作りになっていて、正に現在のエンターテイメントが求める要素を盛り込んだ作品が「イカゲーム」なのだと思う。
それゆえの世界的ヒットなのではないだろうか。
「今際の国のアリス」の世界観は「イカゲーム」とは似て非なるもの
「今際の国のアリス」は「イカゲーム」に比べれば、少なくとも「わかりやすさ」と「テンポの速さ」では劣る部分がある。
しかし、このドラマには「絶望の中に希望を見出し、主人公が生きる意味を知る」というテーマが根底にあり、それに少なくない比重を置いている。
そういう意味で、同じ基準で評価するべきではない。
また、デスゲームドラマの定番である、裏切りや欲望はこのドラマでも描かれているが、その描き方は「イカゲーム」のそれとは少々異なる。
異次元の世界に迷い込んだ時、主人公アリスは友達一緒だった。
その後、その友を見殺しにせざるを得ず一人なる。
「今際の国のアリス」では、罪悪感から抜け出せないアリスの描写にも多くの時間を割いており、それが次の展開への助走として大切な役目を果たす。
アリスの孤独な戦いは「うさぎ」という味方を得て力を増し、二人は信頼関係を築いていく。そこには利己主義に傾倒しない「裏切らない仲間」存在があり、ここもこのドラマの重要な軸となっている。
そしてアリスはうさぎと共に「今際の国」から抜け出すため、そして友を殺した主催者を突き止めるべく動き出すのだ。
ここからがこのドラマの本筋で、つまりは、描かれているのは「不思議の国のアリス」でアリスが不思議な国を旅したのと同様に、「今際の国のアリスの旅」なのだ。
よって、アリスの心情の変化が丁寧に描かれ、ドラマとしての完成度は高い一方で、デスゲームドラマとしての刺激を求める視聴者にはやや冗長的な印象を与えるのかもしれない。
これはよく思うことだが、日本のドラマや映画は比較的テンポが緩やかだ。
それは映像を楽しんだり思考を巡らせるにおいて良い面である一方、限られた時間の中で膨大な情報に触れる現代においては、ディスアドバンテージになり得るのかもしれない。
最後に
最後に「イカゲーム」について感じたことを。
このドラマを観る前に、主演のイ・ジョンジェ主演「補佐官」を観始めた。
「補佐官」でのイ・ジョンジェはスーツ姿が凛々しい、頭の切れる敏腕補佐官役。
その彼が「イカゲーム」のギフン役で登場した時には驚いた。
ギャンブル中毒でバツイチ。
いい歳をして親のスネをかじる典型的ダメ男。
だらしない服装に伸び切った髪。
どこをどう切り取っても「補佐官」で見せた片鱗は見えない。
役者のすごさを思い知ったというか。
この衝撃も「イカゲーム」にのめりこんだ大きなキッカケだった。
ところで、イ・ジョンジェの名演技は素晴らしいと思う一方で、どうしても気になることがあった。
それはギフンが何度か口にする「勝ってみんなで賞金を手にする」という類のセリフだ。
それは恐怖を和らげるための気休めなのか、あるいはそういう可能性を信じているからなのかは不明だが、「勝者は1人」という前提を無視した発言であり、矛盾を感じつつ鑑賞した。
いずれにしても、まったく興味のなかったジャンルを除くキッカケとなった「イカゲーム」。
「イカゲーム」(原題「오징어게임」・英語タイトル「Squid Game」)というタイトルの奇妙さとインパクトもヒットに一役かったのだと思う。
「今際の国のアリス」と共に、シーズン2の配信を待ちたい。
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noteにも考察書いています